8年という歳月

普段、藤子関係を熱かった掲示板やブログをいくつか巡回しているが、藤子・F・不二雄命日の23日から週末にかけては、いつもより多く巡回してみた。全ての藤子不二雄ドラえもんファンにとって忘れることのできない日にファンは何を思ったのか知りたかったからである。しかし・・・。

没後、1年、2年経過した頃は熱い思いを寄せるファンが多かった。だが、年数が経過するにつれ減り続けていった。今年はどうだったか。熱心な原作漫画ファンは今年ももちろん日記やブログ、掲示板を通じてそれぞれの思いを書いている。某メーリングリストにも熱い思いを書いた投稿が次々に寄せられた。一方、掲示板の常連者に若年層が多いドラえもんファンサイトは、全く触れていない所も多かった。覚えていたとしても触れなかった人も多数いるかも知れないし、もちろん触れなかったからといって攻めるつもりは全くないのだが。あくまでネット上を見た限りの考えではあるが、命日自体を知らない子供や忘れているファンも多いのではないか。いや、ドラえもんの生みの親が藤子・F・不二雄という事すら知らないのかもしれない。

原作者死すとも、今日もドラえもんは生き続けている。その事を嬉しく思う人は大勢いる。だが、大勢の人の中に存在するドラえもんは、名前だけが同じで中身は別物となりつつある。その事は作品としてのドラえもんとして本当に幸せなことなのだろうか。天国の作者は何を思う・・・?

前回、「今日は全ての藤子・ドラえもんファンにとって特別な日」と書いたのは、この日をいつまでも忘れないでという思いもあったからだ。

8年前、受験で頭がいっぱいだったという事もあって、恥ずかしながら告別式に行こうとは全く思っていなかった。そして、未だにお墓参りもしていないが、いつの日か行こうとは思っている