のび太のパパ役の交代時期

今回の問題を取り上げたブログや日記は非常に多く、全てチェックすることなどできなかった。それだけ、ドラえもん大山のぶ代ドラえもんファンか否かに関係なく浸透しているということなのだろう。さて、前回書いた記事に付いたコメントの中で、のび太のパパ役だった加藤正之氏が亡くなっていた事について知らなかったという声があった。テレビ朝日ドラえもん約25年の歴史の中で、死亡による交代は12年も前に前例がある。また、脇役キャラでは、交代した例が意外と多い。しかし、それらの事実はほとんど知られていない。

そこで、のび太のパパの交代時期について調べてみた。日本テレビドラえもん研究サイトとしても有名なドラちゃんのおへやにあるアニメドラ基礎データ集によれば、加藤正之氏がドラえもんを降板したのは、1992年10月2日放映「あべこべの星」、後任の中庸助氏が初めて登場したのは1992年10月23日放映「シャワーでかくれんぼ」となっている。そして、降板してから半年後の1993年3月18日、咽喉癌のため死亡。1932年1月29日生まれの享年61歳であった(参考:日本映画データベース)。後任の中庸助氏は加藤正之氏に似せようと努力をされているように見えるが、未だに違和感を感じてしまう。

のび太のパパは、のび太のママに比べれば地味な印象であったことは否めないが、初期の映画であるのび太の恐竜のび太の宇宙開拓史では、ポスターや予告編で、のび太のママと共にクレジットされていたので、重要な役の一人であった事は間違いない。しかし、以前、徹子の部屋や映画の舞台挨拶等で、大山のぶ代が「主要メンバーは20年間全く変わっていない」みたいな事を話したときには少しムッと来た。大山のぶ代にとっての主要メンバーはドラえもんのび太、しずか、ジャイアンスネ夫の5人であるらしい。だからと言って、大山のぶ代を責める気などないけど。



今回の声優交代問題が突如として浮上した事、制作側からの正式発表に未だ至っていないことから、心の整理が付かない方がほとんどである印象が強い。そんな中で、有名ファンサイトの一つであるドラちゃんのおへや掲示板では、2003年12月に声優交代に関して活発な意見が交わされた事があった。当時のログを見返してみると、避けたくても避けられない問題として認識しているファンは既に多かったようである。