45年後ののび太が登場するぼくドラえもん最終号発売中

45年後ののび太が会いに来る話が初収録されたぼくドラえもん25号が、19日に発売された。「45年後・・・」については、以前から本当にしつこすぎるほど取り上げてきたが、ブログの特性を考慮の上、ご理解いただきたい。

さて、「45年後・・・」を初めて読んだ方はどのような感想をお持ちになっただろうか。散々プッシュしておきながら、期待はずれという反応が返ってくるのをおそれていたのだが、すんなりと受け入れてくれる方は多かったようだ。ただ、やはりというか、事前に想像していたよりはあっさりしていたと言った感想が多く見られた。

アニメやアクション漫画など、連続した表現に慣れた方々の目には、限られたページ数で表現し、コマとコマの"間"を想像して楽しむ児童漫画の表現方法に慣れていない面もあるかもしれない。あと、読み手が本作を読んだ時期によって、印象もかなり変わると思う。私の場合は、ここにも書いたように、初めて「45年後・・・」を読んだのが小学六年生の3月号であったというのもある。また、原作漫画をどの程度読んだかという点においても、多少変わってくるかも知れない。例えば、てんとう虫コミックス18巻に収録されている「あの日あの時あのダルマ」という話では、以下のようなのび太の幼児期の回想シーンがある。

庭で転んで泣いていたのび太を見て、おばあちゃんはのび太の前にダルマを転がした。それを見たのび太は、あわてて起きあがり、おばあちゃんに対して病気だから起きてては駄目だという。しかし、おばあちゃんはのび太が泣いていたら心配で寝てなんかいられないと答え、続けてこういった。

「ねえ のびちゃん。ダルマさんて えらいね。なんべんころんでも、泣かないでおきるものね。のびちゃんも、ダルマさんみたいになってくれるとうれしいな。ころんでもころんでも、ひとりでおっきできる強い子になってくれると………、おばあちゃん、とっても安心なんだけどな。」

それからまもなく、のび太のおばあちゃんは亡くなったらしい。この話の最後のコマは、次ののび太のセリフで締められている。

「ぼく、ひとりでおきるよ。これからも、何度も何度もころぶだろうけど……。かならず、おきるから安心しててね、おばあちゃん。」

藤子・F・不二雄がダルマの話を意識して描いたかはもはや知るよしもないが、この話を踏まえて「45年後・・・」を読んでみると、一段と味わい深く感じるのである。

のび太は大人になるまで何度もつまづいた。その度に立ち直った。やがて、源静香と結婚し、ノビスケが産まれた。そしてノビスケが結婚するところまで育て上げた。ノビスケが月まで新婚旅行に向かった日、のび太は「遠い昔に読んだ本をもう一度読み返してみたい。」そんな気持ちで45年前の自分に会いに来た。45年後ののび太は次の言葉を残して帰って行った。

「一つだけおしえておこう。きみはこれから何度でもつまづく。でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ。」

ドラカルト(小学館文庫)によると、藤子・F・不二雄はいずれドラえもんの最終回を描くと言っていたそうだ。だが、仮に描かれたとしても、「さようならドラえもん」を超える作品を描くのは相当困難だったはずである。また、中学生や高校生ののび太がタイムマシンでやってきたように、ドラえもんのび太が永久的な別れをしたとは考えにくい。勝手な推測になるけど、居候はやめて、時々遊びに来る関係になったのかもしれない。

本作が初掲載された小学六年生1985年9月号の掲載最終ページ柱には次のことが書いてある。

45年後……2030年!! あののび太ですら力強く生きている!!そのころ一体自分はどうなってるのなんて考えながら来月号へ!!

のび太は中年になっても運動神経は鈍いままだ。しかし、一人息子が結婚するまで立派に育て上げた。これだけわかればもう十分だと思う。何より、藤子・F・不二雄自らの筆で、のび太の行く末が描かれていたのだから。

一時は永久に表に出ないかも知れないと思われた本作が多くの人が読めるようになったことを本当に嬉しく思う。願わくば、文庫版「のび太グラフィティ編」の最後に本作を追加して改めて出版してほしい。

3月11日、「45年後・・・」が初めてアニメ化されるが、泣かせてやる的演出は避けてもらいたいところだ。


ちょっと感傷に浸ってみたが、ドラえもんは基本的には生活ギャグ漫画なので念のため。