アニメは3/11放送。「45年後・・・」の感想を巡って
長年単行本未収録だった「45年後・・・」がぼくドラえもん25号に収録された。初めて読んだ方はどのような感想をお持ちになっただろうか。散々宣伝しておきながら、期待はずれという反応が返ってくるのをおそれていたのだが、すんなりと受け入れてくれるファンは多かったようだ。ただ、事前に想像していたよりはあっさりしていたと言った感想が多く見られた。アニメのような映像表現に慣れた方の目には、限られたページ数で表現し、コマとコマの間を楽しむ藤子F漫画というか児童漫画の表現方法は合わなかったところは面もあるかもしれない。
また、藤子F漫画の特徴は、泣かせてやる的演出ではなく、読んでて自然と涙が出てくる演出が取られている場合が多いと思う。「45年後・・・」を読んだだけでは、本作の良さは今ひとつピンと来ないかもしれない。id:TOJHO:20050220にも書いたけど、例えば、てんとう虫コミックス18巻収録の「あの日あの時あのダルマ」と合わせて読むと、余計に感慨深くなると思う。
ブログを巡った中で、いくつか抜粋してみた。
全エピソード中、 最も遠い未来から お馴染みの人物が現代に訪れて来ます。 その人物がもたらしたメッセージは、 故藤子・F・不二雄先生からの力強いメッセージです。 (シーラカンスの憂鬱)
…よかったです。「あんまり期待しないほうがいい」と聞いていたんですけど、期待通りでした。 藤子F先生の短編「未来ドロボウ」を読んだときと同じような感覚がしましたね。 いやあ良作が陽の目を見てよかった、よかった。 (のんびりいこうよ)
なんだか、最後のこの言葉が、藤子先生からのメッセージみたいに 受け取られて、ジ〜ンときました。 いまだ大人になりきれず、つまづきっぱなしで 凹んでいる僕に、最高の言葉の贈り物でした。 (Portable Cafe Blog)
最後のページの45年後ののび太の言葉は、『あの日あの時あのダルマ』でのび太のおばあちゃんが「転んでも起き上がるダルマのような人になってほしい」と言ったことを思い出させます。45年後ののび太はきっと、そういう生き方をしてきたんだと思います。 (峠の茶屋)
いやもうコレ本当に味わい深い作品で、今日手に入れてからもう十回ぐらいは読み返してるんだけど、ファンとしてずーっとのび太の人生を見てきた者にとっては本当にたまらない。 「ドラえもん」という漫画のある意味集大成と位置づけることが出来る作品だと思います。 ただ、話としては地味で、あまりドラえもんの歴史を知らない人が読んでも、「いい話だね」で終わってしまうかも。 (Ashiko K Milk)
続いて、思ったよりあっさりしていたという感想。しかし、一方で繰り返し読むと一つ一つのセリフが心に響くという感想を持つ方もおられた。
「45年後…」は、思ったよりあっさりとしていたけど、結構深く感動させられました。 なんかSF短編の「未来ドロボウ」を彷彿とさせる話ですね。あれも深く考えさせるものがあったなあ。 (へっぽこ大学生の日常)
2〜3年ぶりに読んだんですが、案外コンパクトにまとまってる短い話ですねコレ。初めて読んだときはもっと壮大(?)な印象があったもので(^−^;でも最後に大人のび太がのび太に話しかけるひとこと(1コマ)は絶品 まさに最後を飾るのにふさわしかったです。 (パンポロリン!)
Oh!なんともアッサリなのです。 詳しくは書きませんが、アッサリなのです。 最初に読んだときは『え〜』と思ったのですが 何度か読み返すと、たんたんと過ぎる話の中で 一つ一つの言葉がとても心に響くのです。 (超地球絵日記)
もともと学年誌に掲載されてるページ数のとても少ない作品なので当然なんだけど、思いのほかあっさりしてるのね。もうちょっと感傷的なものを予想(期待)してたために少々物足りなさをおぼえてしまったことを正直に告白いたしますが、しかし繰り返し行間(というかコマとコマの間だから、『別冊宝島EX マンガの読み方』で夏目房之介氏が提唱した呼び方に倣っていえば間白か)を勝手に想像(少しだけ見える未来がああだから未来ののび太の傍にはドラえもんがもういなくていいんだろう、とか)しながらじっくり読むとやっぱりいい。本来相当な感動を呼べそうな肝心な部分をあえてさらりと流すのは作者のテレもあるんじゃないかとこれも想像(妄想)。それにそもそも最終回として描かれたわけじゃないしね。 (五月のドラゴンdiary)
また、こんな感想もあった。
幻の作品が初収録、ということで気になってはいたけど、かなり淡白な話だったのは意外だった。以前紹介記事を読んで一番心に残っていた“未来ののび太が最後に口にする言葉”も、特に演出的なタメもなくあっさりと口にされるし、いかにもページが足りない感が漂っている。たぶん藤子先生が生きておられたら単行本収録にあたって加筆が行われただろうし(おそらく数コマ付け加えるだけでも印象が変わるはずだ)、そうして出来た「完成作」を是非読んでみたかった、と思わされる作品。 (観たり読んだり聴いたり、感想日記id:zeroset:20050222)
てんとう虫コミックス6巻に収録されている「さようならドラえもん」も雑誌掲載時はあっさりしており、てんとう虫コミックス収録時にかなり加筆されている。本作も、藤子・F・不二雄が生きていれば、単行本収録時に加筆する可能性が十分にあっただろう。
最後に、個人的に印象深かったのが以下の3本のエントリ。
毎日繰り返す日常、いつも見る人たちの顔、 嬉しいこと、悲しいこと、 早く消えて欲しいものもあるでしょうが、 失ってしまえば、二度と戻ってきません。 自分にとって大切な人、大切なものを失う前に どれだけ気付くことができるでしょう? 失くしてから気付くものは、たくさんあると思います。 それらを失う前に気付かせてくれる、 気付くきっかけを作ってくれる。 『45年後…』は、そんな話だと思います。 あまりに若い方には実感が薄いかもしれませんが、 読めば読むほどジィンとくる作品です。 (漂流クラゲログ)
「45年後…」は、ドラえもんが未来の世界からのび太の運命を変えるためにやってきたことの結果が描かれた作品だともいえる。 ドラえもんは、弱点だらけののび太が元から持っていたちっぽけな強さを、社会のなかで自立し生活していける程度に引き出し育んだのである。これは、ドラえもんが未来の便利な秘密道具をのび太に貸し与え援助したことによる成果というより、ドラえもんという友達がいつもそばにいてくれた日常が、のび太の精神的な成長をゆるやかに促した所産だったのだと私には感じられてならない。たとえ秘密道具の影響があったとしても、それは良きにしろ悪しきにしろ、副次的なものであったと思うのだ。 (藤子不二雄ファンはここにいるid:koikesan:20050226)
僕はまだまだのび太に追いついていません。 25年後、45五年前の自分に、こういってやる事が出来る人間になりたい。 (駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚)
いよいよ今週3月11日、「45年後・・・」が初めてアニメ化され、放映される。そして、その回は大山ドラえもんにおけるレギュラー放送としての最後の回である。その一週間後のスペシャルをもって、大山ドラえもんは、その長い歴史の幕を下ろす事になる。