劇場版 機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛 感想

映画機動戦士ZガンダムIII-星の鼓動は愛-を観に行ってきた。全50話を3部作の映画としてまとめ上げた3本目である。なお、思いっきりネタバレを書いてしまうので、未見の方は注意されたい。

ラストから書いてしまおう。あらかじめ富野監督が言ったとおり、カミーユは精神崩壊を起こすこともなく、割れたヘルメットは交換して無事に助かった。やたらヘルメットを交換したことを強調していたし。そして、ファ・ユイリィと共に見ている観客も恥ずかしくなる限り宇宙空間で派手に抱き合ったのであった。ただのバカップルである。

ここまでは、まあ予想の範囲だ。むしろ、驚いたのはその後のシーン。戦争が終わったことを知るアムロとフラゥ・ボゥ。フラゥはカツの身を心配している。カツ以外のキャラだったら泣かせるシーンなんだろうけど、まあカツだし。シーンは切り替わり、海辺でくつろぐセイラ・マスの元に、カイ・シデンが取材に訪れる。そして、セイラは一言セリフを発した。この声は間違いなく故・井上瑤

かかり出すGacktのラップ主題歌。なんだこの歌は。流れ出すエンディングテロップ。やはり、サラ・ザビアロフの声はまた変わっていた。島村香織?初めて聞く名前だ。セイラの声はやはり井上瑤だった。(ライブラリー出演)と注釈が打たれている。

確かにハッピーエンドなのには違いないんだろうけど、なんだこの見終わった後の虚しさは。おかしな言い方だけど、個人的にはテレビ版の発狂エンドの方が好きである。敵味方関係なく散々人が死にまくった後にバカップルぶりを見せつけられて凄く違和感を感じた。みんな戦争で頭がおかしくなっているだろうから実際にああいう事はありうるかもしれんが。

今回の映画は大胆にもフォウやロザミィ、そしてシャアの演説シーンをばっさりカット。宇宙空間でのモビルスーツ戦に時間が割かれた。新作部分は動画のなめらかさが凄かった。一方、テレビ版から流用した映像には劣化が酷い箇所もあった。過去の映像を再利用する技術に関しては、富野監督は間違いなく優れていると思う。終盤に流れた、劇場を舞台にカミーユとシャア、シロッコハマーンが言い争うシーンは、シロッコハマーンは新作カットだったが、カミーユとシャアはテレビ版の再利用カットのように見えた。そもそも、劇場のシーンはテレビ版にはなかったし。(※2006.3.12追記 テレビ版にもありました。当方の記憶違いでした)

話は前後するが、サラの声はエンディングクレジットを見るまでもなく、明らかに「恋人たち」で演じた池脇千鶴と違っていた。シロッコの呼び方も、「シロッコ様」からテレビ版と同じ「パプテマス様」に戻っていた。サラ自体が別人だよこれは。池脇千鶴があまりにもひどかったから変えたのか、池脇サイドから断ってきたのか。だったら最初から水谷優子のままで良かったんじゃないかなあ。既に故人となられた方の生きていた頃の声を流用してまで声優を変えなかったセイラさんとの扱いの差がひどすぎる。シロッコ役の島田敏に比べたら、水谷優子はまだまだ行けると思うのだが。それでも、島田敏は「星を継ぐ者」よりはかなり頑張っていたが。第2部「恋人たち」の最後で聴いたハマーンの声がかなり低く感じられて不安だったが、榊原良子も結構頑張っていた。ただ、やはりハマーンの劇中の年齢よりかなり老けて見えるのは否めなかった。

ちなみに、富野由悠季監督がガンダムZZを無かった事にしたい趣旨の発言をしていた事から、ZZに登場したキャラが今回の映画版では死んでしまうのではないかと思っていた。結局、死ななかった。ハマーンは生き残った。ヤザンも生き残った。シャアはもちろん生死不明のままであった。ZZを作ろうと思えば作れる含みは残された。

個人的にはZZこそ新訳するには適した素材だと思うのだが。ファンにも監督にも評判の悪いZZだが、初めて見たガンダムシリーズがZZだったということもあって、ので思い入れもある。しかも後半からだったし。前半から初めて通してみて、なぜ黒歴史にしたいのかを理解した。前半部分はともかく、中盤以降で持ち直したとは思うんだがなあ。

月刊ガンダムエース福井晴敏Gacktとの対談の中で新訳ZZについて根本から拒否してた富野監督だが、何とか作ってもらいたいものだ。でも興行的には苦しくなるだろうから、実現性は無しに等しいだろうけどね。


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