さらば東京駅発ブルートレイン

というわけで歴史の1ページが閉じられる瞬間をこの目で見るべく、東京駅に出向いた。

最終のはやぶさ・富士9001レ・9041レを東京から下関まで牽引するのはEF66 53号機。昨年9月、最初で最後の東海道ブルトレ乗車をした際にもお世話になった機関車である。そして富士の8号車には、その際に自分が乗車したオロネ15-3001が連結されていた。乗車した時は塗装が所々剥がれおち、哀れな姿であった。しかし、今日見た時は剥がれ落ちた箇所は塗り直され、ピカピカの状態だった。なんと今年の1月に全検を受けたようで、残りわずかの運転であるにも関わらず全検を通したJR九州にも感謝したい。

個人的な想いを述べておくと、引退は寂しいのは確かだが、一方で、こんな列車がよくぞ今まで走り続けていたと思うのも正直な感想なのは確かだ。両親の実家が福岡であるにも関わらず、この30年間で東海道ブルートレインを利用して帰省した回数はなんと0回。父親が若かりし頃は上京に夜行列車を使ったらしいのだが、結婚後は一回も使うことはなかった。だからこそ、廃止が内定していた昨年の内に、個人旅行ではあるが、最初で最後の旅として思い切って乗っておいたのは正解だったし、なぜ廃止になるのかも実際に乗ってみて実感できた。

国鉄運賃の度重なる値上げに分割民営化、格安航空会社の参入から始まった航空運賃の値下げ。速度どころか、いつの間にか料金面においても寝台特急は一番不利な移動手段になってしまった。北海道方面への寝台特急は、遅くても高くてもお金では買えない楽しさがまだ残っているが、九州行き寝台特急はロビーカーも食堂車も消え、シャワールームもなく、洗面所も原型の車両が多かった。割引切符も九州発の往復切符は存在しても、その逆は無かった。国鉄分割民営化で九州ブルトレはJR4社を跨いで走ることになったが、弊害を悪い形で受けてしまったのが、この九州ブルトレであったような気がする。

でも、ここまで廃止されずに残してきたのであれば、どうせなら、せめて、九州新幹線が全通する2011年までは走り続けてほしかったとの思いも否定できなかったのも事実である。そして、新大阪発鹿児島中央行き新幹線に「はやぶさ」の名を冠してほしかった。残念ながら、どちらも叶うことはなかった。

新幹線0系引退から約3ヶ月。また一つ、国鉄が消えた。