あの日から1日が経って

14日21:15からNHK総合で放送された「ドキュメントにっぽんの現場 寝台特急ラストラン〜人生を運び続けた半世紀〜」を家族で鑑賞する。父も母も学生時代に三段寝台は経験済でそれは狭かったとの事。母が大学時代に教授の付き添いで乗った寝台車は中央通路で寝台が線路方向にあったらしい。おそらくA寝台であろう。20系なのか10系なのかは分からないけど。番組を見て感極まった母は「こういう列車は残してほしかった」と感想を述べるも、「じゃあ結婚してから一度でも帰省にブルートレインを使ったか?もっと使っていれば無くならなかったんだ」とツっこんでしまった。前に書いたように、我が家の人間が帰省する際の手段は一に航空機、二に新幹線。夜行列車は選択肢にすらなっていなかった。二段寝台の24系25形が登場したのは1974年。その時点で、ブルートレインの先行きは見えていたのかもしれない。

それは置いておくとして、20系の狭い三段寝台に一度は乗ってみたかった。少なくとも1994年頃までは20系は臨時急行玄海として首都圏から博多まで走っていたのだ。乗車のチャンスは残されていた。積極的に乗り鉄をするようになったのはここ最近の事で、その頃には20系は既に無かった。

三段寝台自体は電車急行ではあるが大阪-新潟間の急行きたぐにでまだ乗れるし、JR東日本も臨時列車用に583系をまだ残している。乗車難易度でいうと、圧倒的に前者が低いが、ちょっと厳しい。

東京からブルートレインは消えたが、夜行寝台電車はまだ残っている。サンライズ瀬戸・出雲も先行きは決して明るいものではないので、できるだけ早い内に乗っておこうと思ったのであった。

番組自体の出来は非常に素晴らしく、最終上り列車のさよなら放送をオンエアしてくれたのは涙腺がゆるんだ。番組中で洗面所が故障して水が止まらなく場面があったが、あの洗面所は原型タイプであったのが目についた。


ところで、富士・はやぶさ廃止報道を見てみると、「一斉にフラッシュがたかれ」という表現が目に付いた。最終列車出発直前の東京駅で係員が繰り返し注意喚起をしていたように、列車に向けてフラッシュを焚くのはマナー違反であるのは、鉄道ファンの間では常識となっていると思う。運転士の目くらましになってしまうからである。しかし、一般人の間ではその意識は残念ながら低いと言わざるを得ない。だからこそ、マスコミが先頭になって注意喚起をすべきであるはずなのだが、言葉狩りには厳しいくせに、そういう所は甘いのは腑に落ちない。