本日は藤子・F・不二雄氏の命日

今年もこの日がやってきた。今日は全ての藤子不二雄ドラえもんファンにとって特別な日である。1996年9月23日、藤子・F・不二雄こと藤本弘は62歳でこの世を去った。あれから早8年が経過した。

あの日、当時高3であった私は大学受験まで半年を切り最後の追い込みを始めつつあった。あの晩、風呂から上がってフジテレビのSMAP×SMAPのワンコーナー「ビストロスマップ」がCMに入り、テレビ朝日ニュースステーションへとチャンネルを回した。すると、藤子・F・不二雄死去のニュースが流れていた。そのニュースを見たあと気が動転しながらもまず思ったのは「来年の映画はどうなるのか?」ということであった。そして深夜になり、家族が寝静まったあと、一人で泣いた。涙が出た。人の死で泣くのはこれが初めてであった。翌日、訳もわからずに学校の帰りがけに久しぶりにコロコロコミックを買った。コロコロは毎月15日発売なので当然ながら死に関することは一切載っていない。でも、ドラえもんの絵は一目で変であることがわかった。デッサンからして崩れていて、体調が相当悪い、もしくはまるで他人が描いたみたいである。あとから知ったことだが、実際に他人が描いていたのだ。F氏は最初のカラーページしか書いておらず、あとは下書きを途中まで手がけ、仕上げは全てアシスタントに任せていた事を知ったのはかなり後になってからだ。

思い返せば、1996年当時、シンエイ動画藤子アニメを見て育った世代はちょうど10代後半から20代に中盤くらいまでにさしかかろうとしていた。F氏が亡くなった1996年から数年は、日本においてインターネットが急速に普及し始めた時期でもあり、インターネット黎明期においてはドラえもんや他の藤子作品、藤子不二雄そのものを扱ったサイトが次々に誕生していた。それらのサイトの運営者の多くは20代くらいで、データ系のサイトも多かった。インターネット上でのサイト運営や掲示板の書き込みに熱心に打ち込めるのは、せいぜい20代半ばまでくらいだと思う。つまり社会人になる前である。シンエイ動画藤子アニメを見て育った世代がちょうど重なっていたのだ。ネットが普及する以前、10代後半以上の多くの藤子ファンは周りから偏見の目で見られたりして藤子漫画の話し相手などいる方が珍しかった。そのようなファンは、データ系サイトを訪問することによって、例えば、ドラえもんには単行本に収録されていない多数の作品が埋もれていることを初めて知ったファンも多かったはずだ。いくら藤子不二雄ドラえもんに詳しくても一人の力でデータを充実させることは困難であるが、サイトを訪れた多くの熱心な藤子ファンによって、情報が提供されギブアンドテイクでデータも充実していった。

また、1996年頃は藤子不二雄ランドも絶版となり、てんとう虫コミックスドラえもん以外の作品は品切れ状態、現在より藤子漫画を取り巻く状況は厳しかった。藤子漫画を復刊する要望が起きたのは自然な成り行きであり、藤子漫画復刊運動のサイトも開設された。1997年頃から多くの藤子サイトにはそこへのバナーが貼られるようになった。復刊.comたのみこむと言った、企業が運営するサイトはまだなかった。できることと言えば、とにかく署名を集めることだった。実際にある程度署名が集った時点で出版者宛に送っている。ドラえもんのカラー作品集が出版された背景には、署名運動の成果もあったのかもしれない。2000年になると復刊.comが開設され、藤子ファンは掲示板やメーリングリストを通じて投票を呼びかけ、復刊.comにはあっという間に復刊交渉開始の条件となる票が集まった。そして、紆余曲折の末、約2年後に、絶版になっていた藤子不二雄ランドのうち、安孫子作品のみ藤子不二雄Aランドとして復刊にこぎ着けることができた。

そして現在、インターネット黎明期を支えた多くの藤子ファンは、既に社会人となり、サイトの更新もほとんどされなくなったり、閉鎖されたサイトも多数ある。掲示板に書き込む常連者もガラリと変わった。2004年現在、藤子系というかドラえもん系ファンサイトの常連者の多くは、藤子・F・不二雄が健在であった頃を知らない世代になっている。インターネット黎明期を支えた多くの藤子ファンは既にネット上にはいない。しかし、かなりのデータ系サイトは残っている。インターネットの普及に伴い低年齢化も進んだが、老舗藤子サイトを読んだ若き藤子ファンの中には、テレビアニメ化作品には欠けている藤子漫画の魅力を知ったり気づいてくれた方も大勢いる。しかし、中には、藤子漫画の魅力を知ったばかりに、得意げになって理由もよくわからずに現在のドラえもんについて文句を言ったりする輩も時々見受けられる。その結果というわけではないが、現在のアニメドラを楽しむ肯定派と批判派に分かれて、亀裂が生じている。昔から亀裂がなかったわけではないが、年々亀裂が深まっている気がする。時々、掲示板で論争が起きたりするが、たいていは意見の交換にもならず、出し合いで終了する。肯定派は「原作厨うぜえ」否定派は「オリジナルは糞だ。原作やった方がマシだ」の繰り返し。相手の考えを変えようという気はない。自分の考えを一方的に述べるだけ。もちろん、相手の立場や考えも尊重するのは大切ではある。でも、自分の意見で相手の考えを変えてやるという志を時には持つことも必要かと思う。


と書いたところで、なぜ、今回こういう話を書いたのかというと、F氏が亡くなってから時間が経つにつれ、亡くなってからの数年の間、原作漫画の魅力をインターネットで書いたり訴えてきた功罪を感じ始めている気がしたからであるが、続きはまた後日。