ドラミ本日より登場、そして今年は・・・

今年で藤子・F・不二雄氏没後10年。このことを認識しているドラえもんファンはどれくらいいるのかね。1996年9月23日、あの日を境に何かが変わった。原作漫画は26年、アニメは17年間歩いてきた道を、それまでとは明らかに違った方向に進み始めた。約1年半前、ドラえもんは元の道に戻りかけたのだが、元の道に戻るよりは、さらに離れた道を選んでしまったようだ。その道が間違ってるのか正しいのかは、もはやどうでもいい。

先日、こんな企画が始まった。藤子・F・不二雄氏存命中にもこの手の企画はあったけど、F氏はこの世にもういない。原作信者の勝手な考えとして、オリジナルの道具にオリジナルのストーリーのドラえもんはもう勘弁してくれというのが正直な感想。当初、リニューアルされたドラえもんを支持したのは、原作準拠路線を謳ったからである。これが無くなった時点で、晩年の大山ドラの二の舞ではないか。

ドラえもんという作品は、道具もストーリーも綿密に考えられたものだった。それを産み出す藤子・F・不二雄氏の才能は本当に凄かったと思った。最近、gooランキングにおいてドラえもんのひみつ道具の中で欲しいものランキングが発表された。誰もが知っている有名な道具から、マニアックな道具まで入っているが、この中に、オリジナル道具は一つも入っていない。アニメのドラえもんのみのオリジナル道具は数多くあるというのに。このランキングに答えた人の大半が、オリジナル道具が増え始めてからのドラえもんを見ていない可能性が高いというのもあるだろう。しかし、数年後に、この手のランキングを行ったとしても、結果はあまり変わらないだろう。この先何年経っても、アニメドラのオリジナル道具は入ることはないと考える。オリジナルを作るのであれば、このランキングの中に入るくらいの意気込みで創るべきだと考える。しかし、大山ドラの最後の方で創られたオリジナル作品は、道具もストーリーも目を覆わんばかりのひどい出来の作品が大半で、妙な動きで笑いを取る路線に行ってしまった。とにかく、道具もストーリーも印象に残らなかった。妙な動きの印象が強すぎて、そこしか覚えていないのだ。

テレビの影響力は甚大だ。最近ではBSやCSなど有料放送が増えつつあるとはいえ、地上波の無料視聴が深く根付いているこの国において、活字メディアや本は、どんなに頑張ってもテレビの、特に地上波の影響力には勝てない。小説だろうが漫画だろうが、読むためには時間もお金もかかる。

わさドラに対しては、時間とお金をかけて漫画を読まなくても、作品としてのドラえもんの面白さが伝わることができればと期待はしていたのだが、1年半しか持たなかったのか。

結局の所、なぜリニューアルする必要があったのか、なぜリニューアルされたドラえもんはあの路線になったのかを、うまく視聴者に伝える事ができなかったところが大きいと思う。

制作スタッフに問題がないわけではない。この1年半、新スタッフからは、作品に対する「愛」をあまり感じる事ができなかった。ずっと感じていたのは「焦り」である。

子供達は思ったよりも早く順応した。今年の映画の舞台挨拶で、新しいドラえもんを完全に受け入れた子供達を、目の前で多数目にした。しかし、長年大山ドラに慣れてきたそれ以上の世代は・・・。

思えばリニューアルが発表されてからというものの、楠葉宏三、善聡一郎、水田わさび、そして芝山努大山のぶ代等、雑誌や同人誌に掲載されるインタビュー記事を可能な限り読んできた。

今、インタビュー記事を読みたい人物は、千秋でも善聡一郎でもない。木村純一とか山崎立士とか杉山登のようなプロデューサーを務めている、あるいは務めていた人物である。これは是非読みたい。できれば、自らインタビューしたいものである。と書いたところで、例のキャンペーンに関連して吉川大裕プロデューサーがブログを始めたようだが、自分の知りたい部分は書いてくれそうにないな。

次々に出てはいつの間にか消えていく行き当たりばったり企画や、一般的なアニメのフォーマットから大きく逸脱した意図については是非とも聞いてみたいものだ。OPがあってAパート、Bパート、EDに次回予告というのが、一般的なアニメのフォーマットとしよう。リニューアル後、一度もこの形態で放送されていない。どうしてオーソドックスな放送形態で放送できないのだ。

素人目には子供達に夢を与えることよりも、低視聴率その他諸々の理由でで自分の首が飛ぶのを避ける事に重点を置いている様にしか見えない。

今後、アニメのドラえもんがどんな方向に進んだとしても、ドラえもんファンを名乗るくらいなら、一度は時間とお金をかけて漫画のドラえもんや他の藤子漫画をじっくりと読んでほしいと思っている。

漫画を読み終えた後で漫画よりもアニメの方が好きなのであれば、それはそれでいいとも思う。読んでつまらなかったと感じることは非常に重要なことだ。読まず嫌いこそが厄介なのだから。

藤子・F・不二雄氏の命日まであと22日・・・。