さようなら大山ドラえもん(3) 大山ドラも最初から受け入れられていたわけではない
今回のドラえもんのリニューアルにあたっては、一般人の間では、第一話がオンエアされる前から実際にオンエアされた後まで、声の話題が最も多かったように思える。今回は、声の話をしてみる。
そもそも、声に違和感を感じるのは当たり前である。さらに、合ってると思った人ならともかく、合っていないと思った人は、今後、新しい声に慣れる可能性は著しく低い。自分も、大山ドラでは最後まで中庸助のパパに慣れることができなかった。故・加藤正之から交代して12年経過したにもかかわらずだ。日本テレビ版ドラえもんを見ていた人にとっては大山のぶ代の声は未だに違和感があるらしい。彼らの中では、ドラえもんといえば野沢雅子なのだ。さすがに富田耕生ではないようだが。また、原作漫画から入った人にも大山のぶ代の声は漫画で読んだ時のイメージとは違う。
今となっては「ドラえもんの声は大山さん以外考えられない」というほどになっているが、大山ドラも、アニメが始まる前からファンだった小学生の中には、こんな印象を抱く人もいた。ドラちゃんのおへやの掲示板の過去ログにあった書き込みより引用させていただく。
最近、昔の『ドラ』は「面白かった」とか「よかった」といった意見をよく耳にしますが、始まった当初の評価はそれはそれはひどいもんでしたよ「声のイメージが違う」「絵が違うしへた」といった具合でしたから(アニメが始まる前からのドラ好き小学生の評価)。
現在の反対派が水田わさびの声を叩いている状況と大して変わらないようだ。1979年当時、インターネットがあったとしたら、同じように大山声はひどく叩かれたと思う。大山のぶ代の声も、決して最初から受け入れられていたわけではないのだ。
でも、前述のように、大山のぶ代版ドラえもんは放映開始から26年経ち、大半の人は、大山のぶ代以外のドラえもんは考えられないと思っている。世代的には、アニメから入った人、もしくは原作漫画と同時進行で入った人が多いのだろう。物心が付くか付かないかの頃には既に大山のぶ代版のドラえもんがあった。あの声がインプットされているので、頭の中で、自然と、大山のぶ代以外のドラえもんは考えられないという思考が産まれる。
声の違和感を解決できるのは時間の問題だけだと思う。ドラえもんにあまり触れていない子供の場合はすんなり移行できるかも知れないし、これから産まれてくる子供は最初から水田わさびの声に触れることになるからだ。幸いにも、末期のドラえもんは対象年齢が低年齢化していたため、今の子供は、20代以上の人間ほど大山のぶ代声に思い入れはない可能性が高い。
当面の課題は、巷にあふれるレンタルビデオやドラえもんを用いた教育ビデオの存在である。大山声が残るこれら媒体を子供に見せてしまうと、混乱が生じる恐れがある。
水田わさび声のドラえもんを受け付けない理由として、声質以外に、「大山のぶ代の声は藤子・F・不二雄のお墨付きの声だから、水田わさびの声は認められない」というものがあった。大山のぶ代は、雑誌のインタビューで、ドラえもん役に決まってまもなく、試写会の席で初めて会った藤子・F・不二雄に、
「ドラえもんってこんな声だったんですね」
と言われたことを話す事が多い。原作者から直々に言われたのは役者冥利につきるとして、大山のぶ代は誇りに思っていた。大山のぶ代本人も認めているように、長年、自分の声にコンプレックスを持っていただけに、よほどうれしかったのだろう。だが、大山のぶ代はこの言葉を強調しすぎているように思う。かつて、藤子・F・不二雄はキャラクターの一人歩きについて語ったことがあったが、藤子・F・不二雄が大山のぶ代に言ったこの発言も一人歩きしている。
この発言は、本音なのかリップサービスであったかなんて、他人には断定できない。しかし、生前残した様々な言葉を見る限り、藤子・F・不二雄の発言は本音だと思う。本音であると同時に、藤子・F・不二雄の性格ならではのリップサービスであるとも思う。
藤子・F・不二雄の性格の一端が見える出来事として、女性自身に掲載された小原乃梨子インタビューから引用しておく。
「あれは記念すべき第1回の録音でした。スタジオにはF先生や制作の方など関係者が大勢集まっていたのに、私は風邪を引いてしまって声が出なくなって。その日は肝心の録音はできなかったんです。」
結局、全員でその日はお食事会という事になった。小原さんは集まったスタッフに頭を下げて回った。謝る小原さんに、藤子氏はやさしく「のび太らしいですね」とひとこと。その言葉は、小原さんの胸に印象強く残っている。
(女性自身 2005年4月12日号)
仮に、藤子・F・不二雄が存命だったとして、水田わさび声を聞いたらどんな声をかけるだろうか。おそらく、次のような声をかけるだろうと思う。
「新しいドラえもんはこんな声になるんですね。」
様々な発言を読んだ結果、こんな発言を言うであろうことしか思いつかなかった。
楠葉監督が水田わさびをドラえもん役に選んだわけは、以下のコメントを見ればわかる。
「オーディションでは、若くて新鮮な声を求めました。原作の持つドタバタ感を表現するのは、若い、弾けた印象が必要だと思ったからです。ドラえもん役の水田さんは、他の人たちが大山のぶ代さんに声や雰囲気を似せていたのに対して、素直な自分の声を出していた。」(週刊ポスト4/1号)
とはいえ、いくら、前声優陣が「新しい声は似せる必要はない」言ったとしても、納得しないファンは納得しないだろう。まだやれるという声もある。しかし、ドラえもんという作品の、これからの事を考えたことはあるだろうか。
大山のぶ代は、2001年に癌に冒され自ら降板を申し出たことがある。野村道子は3年前にアキレス腱を切って手術。しばらく車椅子でアフレコスタジオに通うことを強いられる。26年という時間は、声優陣にも確実に限界が見えてきた事を悟らせていた。
1990年代に入ってからのドラえもんは、声に1980年代半ばまでの若さがなくなっていた。声のトーンが低くなり、早口で喋る事も困難になったため、しゃべり方もゆっくりになっていった。数年前、何かの本で、昔の放送を見た大山のぶ代が「最近のドラえもんを見ると、ますます声が若返っている」と発言していて愕然とした記憶があるが、本人が意識していなくても、ドラえもんの声は、明らかに衰えていた。同時に性格も変わっていった。今後も続けることを前提にすると、声優の交代は避けられない問題になり、決断の時が早いか遅いかになっていた。
サザエさんは徐々に入れ替える方法を取ったが、ドラえもんについては、主要キャストを一斉に入れ替えるという手段を執った。どっちがいいのかは正直わからない。ドラえもんでも、のび太のパパや雷さんのように、声優が病気で降板した後、しばらくして死去という例はあった。また、仕事の都合により、脇役の何人かも変わっている。
終わらせるという手段を抜きにして、誰かを選ぶしか手段がなかったとしたら、誰だったら納得したのだろう。似たような声をがいいのだろうか。例えば一部マスコミで書かれていたような、泉ピン子とか、細木数子なのだろうか。いくらなんでもそれは冗談じゃないよ。
いずれにせよ、わさびドラえもんは始まったばかりである。大山のぶ代の声も、放映開始当初は安定していなかった。ドラえもんの性格の変化も、大山声の変化と連動していったように思える。友達から出発した大山ドラえもんは、晩年には母性を通り越して、もはや、おばあちゃん的になっていた。
わさび声のドラえもんも、そのうち、あの声にあったキャラクターに落ち着いていくであろう。演じているうちに、ドラえもんは水田わさびに、水田わさびはドラえもんに近づいていくと思う。
最後に、6年前に掲載された大山のぶ代の発言を掲載しておく。
大山:冗談半分に「あと20年はできるだろう」「やりますよ」と言っても、子供たちに「ドラえもん」をずっと与えつづけていくためには、いつか私たちが交代しなくちゃならない。その時に、安心して『ドラえもん』という鍵を渡せる次の世代が育ってもらいたいといつも思っています。「いつか私はドラえもんをやってやる」と思う俳優さん、声優さんが出てくればうれしいし、目標にしてくれれば、喜んで全員で鍵を渡したいと思いますよ。
(1999年3月 20周年だよ!ドラえもん ザ・ムービー キネマ旬報社)